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THE HISTORY OF
MRA HOUSE

MRAハウスとは

INDEX

MRAハウスが築いてきた歴史

MRAハウスは、MRAの精神をもとに戦後の国際的な和解と相互理解を促進する拠点として設立されました。「個人が変わる、社会が変わる、世界が変わる」を大切に、平和な世界へ一歩ずつ歩んできた、MRAハウスの歴史に是非触れてください。

1952-1960

財団法人化

港区麻布富士見町本部

1952

  • 財団法人MRAハウス設立
  • 港区麻布富士見町(現 港区南麻布)に本部を設置

重光外相より勲二等旭日章を受けるブックマン博士

1956

  • 創始者フランク・ブックマン博士来日に際し日本政府より勲二等旭日賞を受賞

バギオ大会

ブックマン博士を囲む
日本青年団協議会役員

1957

  • フィリピン MRAバギオ大会
  • 日本青年団協議会代表100名 米国MRA会議に参加

1958MRA世界大会報告集

1958

  • 第2次日本青年団協議会代表ら70名米国MRA会議に参加

1961-1970

MRAアジアセンター・LIOJ

1961

  • MRAアジアセンター建設後援会を設立(理事長 工藤昭四郎)

アジアセンター開所式

1962

アベベ選手

1964

  • 東京オリンピック各国選手をMRAハウスおよびアジアセンターに招待

歌舞伎座での公演

1965

  • 米国を中心とする「SING OUT ’65」の青年100名来日

台湾への訪問

1966

  • 日本、韓国、台湾、比国、香港、ベトナム、タイの青年による「LET’S GO ’66」が東南アジア7ケ国を歴訪

MRA移動学校

1967

  • MRA移動学校設立

LIOJを設立したローランド・ハーカー初代校長と
テルツ夫人

シング・アウト・アジアの
舞台

1967

  • 「LANGUAGE INSTITUTE OF JAPAN(LIOJ)」(日本外語教育研究所)を設立

    LIOJ35周年記念サイト
  • アジア5ケ国150名の青年による「SING OUT ASIA」米国22州35都市を歴訪

1971-2007

イースト・ウェスト・セミナー・
アジアセンターODAWARA

1971

  • 東西文化の交流を目的として「EWS(イースト・ウェスト・セミナー)」発足

1978

  • 「北スマトラ・日本・インドネシア友好基金」設立に参画

1979

  • 公益信託「アジア・コミュニティ・トラスト」(ACT)設立に参画

地域がつなぐアジアと日本

アジアセンターODAWARA

1993

  • アジアセンター名称変更、新名称「アジアセンターODAWARA」スタート

2006

  • アジアセンターODAWARA 閉館

2007

  • 小田原市への引渡し式を経てアジアセンターの業務終了

あなたとMRAハウスで
これからの平和な世界へ
貢献していきたい

興味を持ってくださった方は、是非一度MRAハウスにお越しください。
より深い歴史が記された書物とともに、一歩踏み込んでMRAの理念を体感していただけます。

※事前お問い合わせのほど、よろしくお願いします。

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渋沢雅英のあゆみ

MRAハウス創設期から活躍してきた一人であり、現MRAハウス理事の渋沢雅英。世界人たる渋沢雅英の人生を紹介します。

現MRAハウス理事

渋沢雅英

渋沢栄一記念財団理事長(在任期間:1997年-2020年、現相談役)
日本外国語研究所元理事長
東京女学館元理事長・館長

日本の著述家・教育者であり、渋沢家の4代目当主。渋沢栄一記念財団の理事長を務め、MRA運動にも尽力した。曾祖父・渋沢栄一と実際に面識のある最後の存命者として、歴史的な継承活動にも関わっている。

MRA以前

1925年2月 生誕(ロンドン)
1938年3月 森村小学校卒業
1938年4月 武蔵中学入学
1942年4月 武蔵高等学校入学
1944年10月 前橋陸軍予備士官学校入学
1945年3月 武蔵高等学校卒業
1945年4月 東京帝国大学農学部入学
1945年6月 前橋陸軍予備士官学校卒業
1945年9月 陸軍少尉 除隊
1950年3月 東京大学農学部農業経済学科卒業
1950年4月 東京食品株式会社入社
1956年4月 同社ロンドン駐在員

MRA活動期

1957年5月 東京食品株式会退社、MRA活動に専念
1957年? アメリカ マキノ島を拠点に活動
1960年 日本に帰国(60年安保) 演劇「光の矢」
1961年 フランク・ブックマン死去
1962年10月 MRAアジアセンター開所
1963年 父・渋沢敬三氏死去
1964年4月 財団法人MRAハウス代表理事
1965年 「革命のデザイン-新しい世界への歩み」出版
1965年 ピーター・ハワード死去
1966年 「父・渋沢敬三」出版
1967年4月 MRA移動学校 1970年3月まで

活動発展期

1968年 日本外国語研究所(Languages Institute of Japan)代表理事
1970年 「太平洋にかける橋-渋沢栄一の生涯」出版
1970年4月 日米欧委員会委員
1970年4月 イースト・ウェスト・セミナー代表理事
1974年 「東南アジアの日本批判-アジアのなかの日本問題とは何か」出版
1979年 「真実のインドネシア-建国の指導者たち」出版
1980年 コーネル大学でインドネシア語を学ぶ(3か月)、その後、インドネシアで3か月
1981年 「東南アジア五つの国-その生存戦略」出版
1982年1月 英国王立国際問題研究所客員研究員(チャタムハウス、ロンドン)。1年目は国際交流基金、その後はLIOJの資金(MRAハウス)で駐在。1984年10月まで
1984年 「Japan and the Asian Pacific Region: Profile of Change」出版
1985年 「日本はアジアか―変革の航路を求めて」出版
1985年9月 アラスカ大学経営学部客員教授 1986年6月まで
1987年3月 学校法人東京女学館理事
1989年9月 アラスカ大学国際経営センター客員教授 1990年6月まで
1991年9月 ポートランド州立大学経営学部客員教授 1992年6月まで
1993年1月 同大学客員教授 1993年6月

晩年期

1994年1月 学校法人東京女学館理事長・館長 2003年12月まで
1997年1月 渋沢栄一記念財団理事長
1999年10月 米国World Learning財団理事
2020年4月 渋沢栄一記念財団相談役